ワインコラム第24回【戦国武将とワインの物語〜豊臣秀吉編〜】
戦国の世を終わらせ、日本統一へと導いた豊臣秀吉
派手好きで知られる彼の暮らしぶりは、まさに「黄金文化の時代」を象徴する物でした
そんな秀吉の元にも、西洋から"南蛮文化"が次々と入ってきます
その中にはワインももちろんありました

戦国武将とワイン、最後の人物は豊臣秀吉について深掘りします
こちらのマダムグログでは、生活に役立つワインに関する情報を月3回お届け
🍷マダムのワインコラム🍷
毎月2日、12日、22日の月3回更新です
🍇南蛮貿易がもたらした
「贅沢の象徴」
16世紀後半、ポルトガルやスペインの宣教師や商人たちが日本を訪れ、ワインは「ミサの聖なる酒」としてだけでなく、珍しい輸入品として大名たちに贈られていました
秀吉の元にも献上品として届けられた記録があり、金杯の器に注がれた赤いワインは異国の象徴
香り高く、深い味わいのその液体は、秀吉にとって「天下を取った者だけが味わえる異国の味」だったかもしれません

✨「見せる文化」を愛した男
秀吉はただ飲むだけでは満足しない人でした
金箔の茶室をつくり、桜の下で金の盃を使い、自身の権威と美意識を"見せる"ことに全力を注ぎました
そんな彼にとってワインは「味わう飲み物」というよりも、「客人を驚かせ、もてなすための華やかな演出」
まるで現代でいう"シャンパンタワー"のような存在だったのかもしれませんね

✝️ワインも幕引き「キリシタン禁止令」
ところが、時代はすぐに暗転します
1587年秀吉は「バテレン追放令」(キリシタン禁止令)を発令
この禁止令により、宣教師たちがミサで使用していたワインも一緒に姿を消していきます
つまり、日本におけるワイン文化の第一章はここで一旦幕を閉じたのです

🏯まとめ
織田信長が"知の好奇心"からワインに触れ
徳川家康が"外交のカード"としてワインを嗜んだのに対し
豊臣秀吉は"見せる美学"としてワインを楽しんだと言えます
それぞれの天下人が、ワインを通して異なる価値観を映し出している
それもまた、日本のワイン文化の始まりにある面白さですね✨

🍷ワインの灯が消えたのち...
秀吉の死後、徳川家康の時代に入り再びオランダ・イギリスと貿易が再開され、ワインも再び輸入されることになります
しかし1639年の鎖国体制の確立により再びワインが日本から姿を消します
ワインは日本に登場と幕引きを繰り返していくのです
よく知っている日本の歴史とワインを合わせて見てみると、とても興味深いですよね🍷✨
次回は戦国時代〜江戸時代初期にかけての日本とワインの歴史を総まとめでお送りします
これであなたもワイン通👍
お楽しみに!
Cheers to a wonderful wine life !
